本文へスキップ

中小企業の方々の経営のお悩みをご一緒に解決します!

随想の広場

研究会メンバーによる随想をお楽しみください。

セレンディピティを磨く時

11.08.01
SAVS会員 エルムマネジメントオフィス・代表 佐藤 徹

  「人生は偶有性に支配されているから面白い」と聞く。偶有性とは広辞苑によれば、「ある事物を考える場合に、本質的ではなく偶然的な性質」と説かれている。英語のセレンディピティ(serendipity)に通じるようだ。語源を探ると「セレンディップの三人の王子」と題する童話に辿り着く。「セレンディップ(スリランカ)の王子たちは旅の途中に遭遇した難問を、自らの聡明さによって次々と解決する過程で、本来探していなかった何かを発見する」という物語だ。然るにセレンディピティとは、脳生理学者の茂木健一郎氏の著書「セレンディピティの時代」によれば、「偶然の幸運に出会う能力」なのだそうだ。

 偶然なら「たまたま」起こった現象だが、セレンディピティは、「たまたま」を発見する能力を指すのだろう。それ故にセレンディピティという言葉には、単なる「幸運」とは異なる深い意味が含まれているとみられよう。単なる幸運ならluckと言えばこと足りるが、あえてserendipityと言い放つのには、確たる理由がある。そうとなれば、“棚からぼた餅”や“果報は寝て待て”というようにはいかない。「偶然の幸運に出会う能力」すなわち“セレンディピティ”を身につけようとするなら、努力おさおさ怠りなく何時も何かに挑み続けなければならないというわけだ。

 ところで日本は今、東日本大震災の傷跡がなかなか癒えずに、未曾有の試練に直面している。巨大地震と大津波と原発事故。三重の災禍に襲われたのは偶然だったのか?必然だったのか?徹底解明が待たれるが、今私たちがなすべきは、セレンディピティに身を投じることだろう。苦悩の果てに、振りかかった災難をどうにか受け入れ、失意のどん底から懸命に立ち上がろうと、復旧・復興に勤しむ被災者の皆さまのひたむきな姿に心を打たれる。しかしそこには、新鮮な出会いがあり気づきがある。道のりは遠くても、あてにもしなかった好ましい偶然が招き入れられる予感がする。今まさにセレンディピティを磨く時。経営もまた然り。


随想の広場 一覧へ戻る