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科学が進歩しても「人の思い」は変わらず?

12.10.05
SAVS会員  畑 啓之
いま、尖閣諸島と竹島がどこの国の領土であるかを巡る争いが起きている。日中韓の国民がこうあってほしいとの思いが激しくぶつかり、問題解決を難しくしている。第三者機関の仲裁を仰がなければ解決できない問題であるのかもしれない。

人の判断が入り込む余地がある問題の解決は難しい。科学的事実を取り扱っているはずの「特許」に関しても残念ながら事情は同じである。この9月19日に一つの特許係争裁判が結審した。

越後製菓は佐藤食品の「サトウの切り餅」を訴えていた。先に出願(2002年10月)の越後製菓の特許は切り餅の周囲に切り込みを入れることを特徴とし、遅れて出願(2003年7月)の佐藤食品の特許は周囲以外にも上下面にも切り込みを入れることを特徴とした。サトウ食品は切り込を増やしたことにより餅が綺麗に膨れると主張した。地方裁判所では越後製菓の敗訴となったが、高等裁判所では越後製菓が逆転勝訴し8億円の賠償額を勝ち取った。最高裁判所では佐藤食品の上告が棄却され、高等裁判所の判決が確定した。
裁判官により勝敗が入れ替わる好例である。

よく起こる例を示そう。当たり前の事柄が特許として出願され、それが特許となった時、その特許は非常に強い権利を有することなる。ある製品を製造するには工程 A、B、C の3つの工程を経るのが業界の常識であったとする。各社ともにその方法でその製品を製造している。あまりに自明な方法であるので、そのことは公的な資料のどこにも記載されていない。いま、各社が特許戦略で力を入れているのは、各工程 A、B、C のそれぞれをブラッシュアップし、その権利を取得することである。ところが、ある会社が業界で自明であるはずの工程 A+B+C で製品を製造する特許を出願したとする。前例がないことが特許の要件であるので、この出願特許は特許として認められ、その結果、他社はこの製品を製造するために新たな製法を開発する必要に迫られることになる。

その一方で自信をもって出願した特許が特許として認められない場合も起こる。先の例とは逆に、特許庁の審査官が前例となる文献を示した場合だ。示された文献は出願の発明と全く関係ない場合も多いのであるが、発明者との力関係では審査官に賞杯が上がる。公の力は科学の世界にも及ぶ。考えてみるに、同じ会社の同じ研究所で働いていても、隣の研究者の仕事の素晴らしさが理解できない場合もある。まして、全く技術的バックグラウンドが違う、場合によってはその分野の素人である審査官が特許の内容を正確に理解するにはかなり無理がある。その結果として、本来特許として認められるべき出願が特許とならないケースが起こり得るということだ。逆に、「良い」特許審査官にあたると、なぜこれが特許なのかといった出願が特許となってしまう。

「権利」を主張するためには、ます「権利」を主張するに足る事実があること。その事実を利害関係者や第三者機関(特許の場合には審査官)にわかりやすく説明することが大切である。理解してもらえないことにはその「権利」はなかったものとみなされてしまう。
さらに、「サトウの切り餅」訴訟でもわかるように、「権利」は一日でも早く主張したものが勝ちである。製法 A+B+C でも示したように、当たり前と自身で思っていることでも他人(特許審査官)にとっては当たり前でないことも多いので、当たり前と思われることがらについても権利の主張は重要である。尖閣諸島と竹島の問題もこの範疇に属している。

最後に、「権利」を主張するに足る事実は、戦略ある活動により生み出される。政治・経済・科学技術において日本が確かな戦略を持ち、海外から再び注目を浴びて日本国民が輝きを取り戻す日が来ると確信している。そのためには、国民の叡智を有機的に結び合わせ、かつ、ベクトルの方向もあわせた活動が求められている。


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