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ステップの灰色の鷲

13.10.25
SAVS会員 上住技術・経営企画代表 上住好章
標題はロシア歌謡『カチューシャ』の原詩の二番の歌詞に現れる言葉です。
先日、兵庫県立芸術文化センターで開催された国立モスクワ合唱団のコンサートに行きました。
ロシアの歌を聴きに行ったのは万博の時以来43年ぶりです。
個人的にはこの時のようにガルモーニ(アコーディオン)を初めとする民族楽器を伴奏に使うものが好きですが、この合唱団は凄い、と聞いて行く気になったものです。
演目もこの『カチューシャ』を初めとする有名曲が多いこともありました。

 行ってみると聞きしにたがわず圧倒された2時間でした。
特に混声合唱の団員が交代でソリストを務め、ロシア民謡の伝統の様式である合唱をバックに朗々と歌い上げる声量はオペラ歌手を凌ぎ、広い館内を震わさんばかりでした。

 1ヶ月前にチケットを買いに行った時は、好きな席が取れると思っていたら、案に相違して残り少ないといいます。
果たせるかな当日は補助席を出すほどの超満員でした。
観客は年配者中心で、若い人はほとんどいませんでした。
車椅子のお年寄りが付き添いの人とともに来ている姿もあったほどでした。

 何故これほど人気があるのかは暫くわかりませんでしたが、休憩時間にコーヒーを飲むテーブルでご一緒になった老夫婦が、『これなら私達も楽しめる』と言われたのを聞いて、ある程度時間とお金のある高齢者向きのコンサートがあまりないのでは、とも感じました。

 この『カチューシャ』の歌は、イサコフスキーの脚韻を踏んだ強弱格の端正な詩にブランチェルが曲を付け、戦後に日本でも一世を風靡し、『林檎の花ほころび・・・』で始まる関鑑子の定訳で知られていますが、原詩の歌詞の一、二番とそのおよその意味は次のようになっています。

Катюша
Слова  М.В.Исаковского
Музыка М.И.Блантера


1. Расцветали яблони и груши,
   Поплыли туманы над рекой.
   Выходила на берег Катюша,
   На высокий берег на крутой.
2. Выходила песню заводила,
   Про степного сизого орла,
   Про того, которого любила,
   Про того, чьи письма берегла.

カチューシャ
M.V.イサコフスキー作詞
M.I.ブランチェル 作曲


一、 林檎と梨の花が咲いていた、
   川の上には霧が満ちていた。
   カチューシャは堤へ出て行く、
   その高く険しい堤の上へ。
二、 出て行って歌を歌っていた、
   ステップの灰色の鷲のために、
   愛する人のために、
   その手紙を大切に守っている人のために。

こうして見ると関鑑子の定訳は翻訳というよりはほとんど創作に近いのですが、それは別として、歌詞に突然出現する『ステップ(荒野)の灰色の鷲』の意味がわかりません。
どうも『愛する人』と同じ意味に見えますが、なぜ『鷲』なのか?
原詩のこの部分は永年の疑問でした。ロシア現地で聞いたらわかりそうなものですが、三十数年前に出張でモスクワへ行ったときは、リュドミラ・ズィキナという歌手のレコードを探していてすっかり忘れていました。

 この疑問は5年前にニューヨークに10日間ほど滞在したときに解けました。
折角のことなので現地の英語学校に飛び入りで参加し、当地で仕事をしながら英語を習っている人たちと机を並べましたが、ある日横に座ったのがロシア人のお姉さんで、このことを尋ねたら、
『力強い若者の象徴なのよ』、と。永年の疑問が解けた瞬間でした。

 日本にもあります。『松の廊下』といえば日本人にはピンと来ますが、外国の人が『松』+『廊下』に分けてそれぞれの意味を辞書で調べてわかったとしても、この語句の持つ特別な意味はわからないことが多いのでは?

 この『カチューシャ』の歌は1937年に作られ、前線にいる若い兵士を思いやるカチューシャを主題とした、当時のソ連の戦時歌謡です。
同時期に作られた日本の戦時歌謡が戦後には生き永らえることが出来なかったことを思えば、戦勝国と敗戦国の大きい差を思い起こさせます。

 最近は新しく覚えたこともすぐ忘れてしまいますが、昔々学生時代に第二外国語でロシア語を習って覚えた幾つかの歌詞やプーシキンの詩『青銅の騎士』の一節など、若い頃に記憶したものは年をとっても忘れないことを実感しています。



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