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随想の広場

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マッサンの決断

15.04.01
SAVS会員 佐藤 徹
「蔵は熟成中のウイスキーの樽でぎっしり埋まっている。最古参の樽は熟成15年目を迎えていた。戦禍を免れ、眠りつづけたまま生き延び、今は琥珀色の芳醇な味と香りの命の水に育っているに違いない。戦争が終わって3年。本物のウイスキーを開発する時が来たのだ。心が弾む。いてもたってもいられない。そんな矢先に、出資者から突如、三級ウイスキーをつくれと命じられた。本場スコットランドにも負けない本物づくりに挑もうとしていたマッサンの苦悩が始まった。」

3月に放映が終了したばかりの平成26年度後期のNHK朝ドラ「マッサン」の一コマである。
さて、マッサンはどんな決断を下すのだろう。

スコットランドでウイスキーづくりを学んだマッサン。日本人に本物のウイスキーを飲んでもらいたいと高邁な志を抱いた。そしてスコットランドに気候風土の似た北海道の余市を選び、日本のウイスキーの故郷にしようと決めた。苦節10数年。戦後の混乱が治まり平和が戻ってきた。だが人々の暮らしは貧しい。世に出るのを今か今かと待つ本物の原酒が目の前にある。しかし高くつく。こんなご時世に売れるはずがない。いま大衆が喜ぶ酒は安い三級酒なのだ。マッサンにとっては許し難い偽物だ。

売れなくてもよいとは言わないが「売りたいもの」を作るのか、世の中の風潮に迎合して偽物まがいの「売れるもの」を作るのか?その苦悩のあまり、時恰もシベリア抑留から帰還した甥を前にして、本物への拘りをぶちまけ三級酒を偽物呼ばわりする。それを聞いた甥はマッサンに、凄まじい剣幕で食ってかかる。「酒に本物も偽物もあるもんですか、本物って何なんですか?誰のために酒を作っているんですか?」と。シベリアで生死をさまよう壮絶な体験をして辛くも祖国に帰ってきた甥は、三級酒を飲んで初めて「生」を実感した。その酒を「偽物」と呼ぶマッサンを許せなかったのである。そこで一瞬たじろぎはしたが、甥の言葉を冷静に受け止めたマッサンは気づく。「安く手に入り、ほどほどに酔えて一日の疲れが癒されて『生』を実感できれば、それがその人にとっての本物の酒ではないのか。」と。吹っ切れたマッサンは、脳裏に焼き付いて離れなかった「本物」の呪縛から解き放たれ、遂に三級ウイスキーを完成する。

拘りつづけた「本物」すなわち「売りたいもの」ではなく、「売れるもの」をつくる決心をしたマッサン。似たような話をコンサルタントの現場でよく聞く。「良いものを作ったのに売れない。」との嘆きである。この話に照らしてふと思う。「売れるもの」を作らなければならないのに実は、「良いもの(本物)は売れるもの」と錯覚しているのではないかと・・・。

さてマッサンの三級ウイスキーの試飲会に、大阪の百貨店社長がやってきた。ひと口そしてふた口、ゆっくりと喉越しで味わった社長は、固唾を飲んで見つめるマッサンに、「あんた、伝える酒つくったなあ」と感慨深げに語りかける。「あんた、この酒、飲む人の顔を思い浮かべてつくったやろう。」とつづける。社長は、マッサンが、「飲む人の思いを酒に込めて、その思いを伝えようとした」心の襞を鋭く感知したのだ。「思いを汲み、思いを酒に込め、思いを伝える。」まさに、マーケティングの真髄を見事に演出したシーンであった。

ストーリーには、「売れるものを作る」という物づくりの基本が込められている。しかしそうかといって、「売りたいもの」つまり「本物のものづくり」まで捨てて良いものか?マッサンの三級ウイスキーづくりを、もう少し詳しく見てみよう。

その時、マッサンの三級ウイスキーには、他社が使っている香料や着色料が一切使われず、税法で許される最高限度まで原酒が入れられ、しかも他社より容量の少ないビンに詰めて他社より高い価格で売り出された。三級ウイスキーは、原酒0~5%と規定されていたが、出回っている三級ウイスキーと称されるものの大部分が原酒0%だったらしい。この経緯をマッサンのモデルの竹鶴政孝氏は、日本経済新聞(昭和43年5月~6月連載)の「私の履歴書」において、「私は税法で許される最高率まで原酒を入れ、他社の640ミリリットル、330円に対抗して“良いものは高く売るのが当然だ”ということで、他社のより140ミリリットルも少ない500ミリリットルのビンを、20円高の350円にして売った。それがせめてもの私の抵抗でもあった。」と述べている。

曰く、「良いものは高く売るのが当然」、「それがせめてもの(三級ウイスキーを作れと命じた出資者に対する)私の抵抗でもあった。」という下りの中に、マッサンの本懐が見える。マッサンは、ただ売れさえすればよしとして、‟売れるものづくり“に堕したのではない。「生きていくには三級品づくりも止むを得ない。しかし誰にも負けない三級品を作ってみせる。」と決断したのであろう。言って見れば、三級という制約の中では最高の、本物の「三級ウイスキー」を作ったのである。そして戦後の復興が進むに連れて人々の生活は少しずつ良くなっていく。ウイスキーの嗜好も3級から2級、特級へと移っていった。そしてこのように時代が変わっても残ったのは、マッサンのような「本物づくり」の人たちだけだった。終戦直後の貧しい時代には誰も目もくれなかった「本物」が、いよいよ日の目を見る時がきたのである。

マッサンの物語には、「売りたいものを作るか」、それとも「売れるものを作るか」という一見相反する命題がある。しかしこれには二者択一では答えられない。マッサンはその時に、己の信念を曲げて「売れるもの」を作ったが、本物が売れる時代が来た時には、「売りたいもの」を売ることができた。それは何故か?「売りたいもの」をつくり込んでいたからである。物づくりはニーズ(売れるもの)に従うのが鉄則だが、シーズ(売りたいもの)を備えていなければ、変化するニーズに応えられない。シーズを備えていればより早くニーズに応えられる可能性が高まるし、ニーズを知ればシーズをよりマーケットインしやすくする機会が増えるだろう。私はどちらもバランスよく保つことが大事だと思っている。



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